ヨーロッパ交流紀行 2013 初夏
- 1日目 6月17日
- 【社長の日記①】日本から「ミュンヘン」へ
- 2日目 6月18日
- 【社長の日記②】ミュンヘン散策
- 3日目 6月19日
- 【社長の日記③】ホーエンシュタイン研究所へ
- 4日目 6月20日
- 【社長の日記④】番外編
1日目 6月17日
【社長の日記①】日本から「ミュンヘン」へ
現地時間、午後4時半に、およそ11時間半のフライトを終えてミュンヘン空港に着いた。去年の9月に訪欧した時の飛行機は、足と座席のあいだに余裕があって、楽ちんであったが、今回の飛行機には、その余裕がなく、姿勢が崩せないので疲労困憊の11時間半のフライトであった。今は、真夜中の1時半だが3時間ほど、よく寝たお陰で体力回復のようだ。
今回の訪欧で6回目(7回目?)となるが、今回ほど、どうしようと思ったことがない。外国へ来ると、いつも思うことであるが、言葉の障壁ほど大きいものはない。ひがみ根性かもしれないが、いつも、バカにされているようで卑屈になる。
卑屈になったところで、何も解決できないことは分っているが、卑屈になって焦りを感じて右往左往してしまう。しかし、いつも、なぜか助け舟が現れて解決してくれる。この不思議さは、如何とも仕様がない謎の一つだ。
6年ほど前の訪欧時に、フランスのドゴール空港からドイツのシュツットガルト空港へ入国した際に、私のスーツケースが行方不明になって、飛行機から出てこないで翌日にホテルへ届けられた。
この時のアクシデントも大変だったが、今回のアクシデントは、この程度のアクシデントでは終わらない状況であった。今回のドイツ入国で、初っ端に起きたアクシデント。真夏日のドイツ・ミュンヘンでおきた汗が凍りつくような焦りと恐怖であった。
飛行機から出て入国審査が終わり、次に、スーツケースを受け取りに「受け取りエリア」に移動途中に起きたことである。審査を終えた人たちがゾロゾロト続いて「受け取りエリア」に向かう。なぜか、ゾロゾロと向かう人たちに着いて行ってしまい、空港外へ出てしまったのだ。
一旦出てしまうと、もう一度、元の位置に戻るという分けにはいかない。再度、入国審査を受けなければならないからだ。その手続き方法が分らない。こういう複雑なことを説明するには言葉の壁が立ちはだかる。
ここからが大変で、インフォメーションセンターへ行って、片言英語で航空会社のカウンターの場所を聞き、その航空会社のカウンター受付場所へ行った。ところが、そこには誰もおらず、途方に暮れてキョロキョロしているとアジア系の女性を見つけた。
こういう時は、藁をもつかむ心境で、恥は旅の掻き捨てになって度胸が据わる。
その人は日本語で作った案内の紙を持って、ツアー客の荷物を監視している人で、そのアジア系の女性に話すと『ついて来い』と言うので、ついて行ったら、ドイツ人の男性二人に話しかけ(何をする人なのかチンプンカンプン)て、次は、違う場所の案内所へその男性二人が連れて行ってくれて、ドイツ語で何を言ってるのか、さっぱりわからない。何かを伝えてくれていることは分るが、不安と焦燥を感じながらやり取りを聞いていると、すると、そこへ新たな案内所の係りの女性が交代勤務時間で現れる。
この女性が日本人で、事情説明すると、丁寧に労わるように、その場所と手続きの方法を教えてくれた。
地獄に仏とはこのことか…。
教えてくれた航空会社の案内所へ行くと、その場所は閉まっており、ラテン系の人が、どうした?と、身ぶり手振りで聞いてくれるのだが、やはり言葉が通じない。
再度、日本人女性を求めて元の案内所へ行くが、その女性がいない。もう一度、ラテン系の人がいる案内所へ戻って、身振り手振りで説明していると、背後にある部屋を覗いて、ドアを何度も叩いて、航空会社の日本人担当者を呼んでくれた。
これで、再度、入国検査を受けて「受け取りエリア」へ戻れた。その場所に、偶然か、知ってか、分らないが、アジア系の女性がいるではないか、つい嬉しくて、握手を求めてお礼を申しあげた。
しかし、やっとここまで来たという思いと反対に、行き先不明のレッテルが貼られて、どこかへ行ってしまったら、どうしようという焦りが出てくる。しかし、焦ってもしようがない。いくつものレーンを通り過ぎているうちに、ポツンと、赤と青のスーツケース二つが主を待っていてくれた。
アジア系の女性を皮切りに、空港職員らしきドイツ人の青年二人に、案内所の日本人女性、航空会社の担当女性、ラテン系の男性、合計6人の人に迷惑をかけて、お礼を申しあげたい。今となっては、時間とともに過ぎたアクシデントであった。
これ等のいろいろなケースに立ち向かってくれるのが、我がアシスタントの愛称「コンスケ」嬢である。今回も、果敢に挑戦して事なきを得た。私は、横にいて、ボー然と観ているだけで何もしない。コンスケ嬢のお尻にくっついて、アッチへコッチへとウロチョロしているだけ。じつに、立派に対処してくれた。
ちなみに、入国審査が終わった後に、ゾロゾロとツアー客のような人について空港外へ出るのを誘導したのは、何を隠そう、この私である。
今回のホーエンシュタイン研究所との打ち合わせをシッカリやらなければ、と反省しきりの私である。
明日(もう、今日になっています)は、休息日で、美術館で一日ユックリと過ごしたいと計画している。先が思いやられる弥次喜多珍道中の始まりです。
乱文、ご寛容にご容赦のほどを・・・。
慌てて、ミュンヘン空港での写真撮影を忘れたことに気づく。仕方がないので、大阪伊丹から成田へ行く機内からの富士山を撮った写真で、お茶を濁します。
写真左 : ホテルに着いてホットと一息
写真右 : ホテルからの眺め
2日目 6月18日
【社長の日記②】ミュンヘン散策へ
シェラトンホテルから歩いて5分の地下鉄のアラベラパークの始発駅を朝10時に出発した。意気揚々と電車に乗り込み、弥次喜多珍道中の始まりである。
ミュンヘンには切符の改札が無く、一日に何度乗っても同じ料金の一日乗車券を購入。そして、アラベラパークを出て、着いたところがアラベラパークで、珍道中の予想通りで馬鹿笑いしきりだ。
一日乗車券を買ったので、何度でも乗れる安心というのか、何というのか、複雑な心境である。ヨーロッパの交通インフラ料金は、それぞれの自由と裁量に任されている。しかし、その裏には自己責任という重い義務がついて回る。下手をすれば、経営破綻に陥りかねない。と、経営者の物知り顔でコンスケと二人でウンチク議論をする。
そういうことより、出発地点と到着地点が同じなのは、なぜ?なんちゅうこと?じつは途中で乗り換えるのを見逃して、またまた振り出しに戻ったというわけで、「弥次喜多珍道中スゴロク」を絵に描いたそのものである。 グタグタと笑って、お喋りをしているあいだに、アルテ・ピナコテーク美術館の最寄りの駅に着いた。
この美術館は、1600年頃の絵画が多いようだ。いつも下調べをしないので、時代背景や歴史観・歴史認識のないままで見学鑑賞の本番を迎える。自分の感性と感受性、審美眼を信じて、批評や評論、解説は意にも解せず鑑賞に耽るのが、私の流儀だ。
そういう中で、私の独断と偏見での感想は、宗教と権力を象徴する絵画が多かった。また、絵の大きさに圧倒されたのも真実だ。
私にとって最も印象に残ったのが、果物を食べながら談笑する子供の絵だ。この絵は、宗教も、権力も何もない『力』の働かない空間の世界で、子供たちの屈託のない笑顔に引きつけられる。子供たちの顔は、自由と満足に満ち、果物から今にも美味しい甘い匂いがこぼれ落ちてきそうなのに引きづり込まれて、しばし呆然と立ち尽くした。
次は、ゴッホの「ひまわり」を鑑賞しにノイエ・ピナコテークに向かう。ノイエ・ピナコテーク美術館のドアを引いても開かない。押しても開かない。次に来た人も同じことをやっている。裏にも回った。グルっと一周したが、何処にも、入り口らしきものはない。
そこで、ハタと気づいた。ヒョッとして休館日???・・・ネットで調べると火曜日が休館日なのだそうだ。
今朝の地下鉄のアラベラパークで経験した出発地点と到着地点が同じというのと似ていて、ここでも自分たちの行動を大いに笑った。まさに珍道中を絵に描いたようなものだ。
じつは、5年前にパリのエルメス本社を訪問して、いろいろと勉強をさせてもらった時にも、ルーブル美術館に行こうということで、勇んで行った時もルーブル美術館は休館日だった。
悲しいかな、美術館に対して、こういう不運?いや、神様の悪戯がつきまとう。しかし、困ったときは、いつも天の配剤で助けてもらっている。昨日も助けてもらったではないか、文句は言うまい。
この程度のことは、しようがないとあきらめて、やっぱり所持する図録でガマンすることにした。
さて、次に行くところは、7年前に一度来ている「ミュンヘン新市庁舎」だ。ここは、変わってないと言いたいところだが、広場には、何もなく、広場が、広い通行路になっている。
当時とは少し趣きが違う。7年前には、大道芸人が大勢いて、思い思いの磨いた芸を見せてくれていた。なかでも、全身「金」で塗り固めたパントマイムに魅了されて「見とれた」のを思い出した。が、そういう特徴的で、盛りだくさん大道芸で、ごった返していたようではないのが残念だ。道路許可証が必要になったのか、と一人合点をした。
ただ、今日のミュンヘンは、36℃と猛暑日で石畳は焼けて芸を見せる気力もなく、あまりの暑さに大道芸の人たちも休養しているのだろうか?という疑心も湧いてくる。もしそうなら、ゴッホの「ひまわり」といい、大道芸といい、個人的な楽しみとよくよく運がないのかも?である。
5時には、ホテルに戻って、明日のホーエンシュタイン研究所での打ち合わせのための準備をする。
去年の9月に来たときの事案である洗浄パラメータに基づいて、実証実験(テストデータ)をおこない世界へ公開しようというのである。
方法としては、水で無重力洗浄する。1000アイテムの衣服を指定のパラメータに仕分けてテストデータを作る。臨床検査をするようなイメージだ。そして、その実証実験データを分析しやすくするITシステムを開発したので、そのシステムの使い方とパラメータの内容打合せだ。私の心の中で緊張感が走っている。
テストデータの臨床試験に合格すれば、世界のドライクリーニングを変える基礎・基盤をつくる可能性がある大事業である。ココロして、かからねばならない。
今日のヨーロッパ紀行は、ここまでとして、明日に備える。
3日目 6月19日
【社長の日記③】ホーエンシュタイン研究所へ
旅紀行も、これで最終回になる。ホテルから片道3時間の小さな旅が続く。ミュンヘンからドイツの新幹線を2時間ほど乗り、シュッツットガルトに到着、それから、小一時間かけて高速道路を、ひた走ってホーエンシュタイン研究所まで一目散。
今日は、通訳の見目(けんもく)女史の応援を得たので、何事のアクシデントもなく無事に終了した。ドイツでの通訳は、見目女史にお願いをして6~7年ほどになる。口にしなくても理解が進み以心伝心で相手方に伝わっていく安心を覚える。
今日のホーエンシュタイン研究所の訪問において、見目女史の見立てでは、ハッピーへの信頼は絶大なもので、ヨーロッパにおけるハッピーの存在価値をアピールして、実質的にハッピーに役立つお手伝いをしたいと考えているようで、言葉にして通訳する以上の心に響くものを感じたとの評価・感想だった。ホーエンシュタイン研究所の面々と2時間半のミッチリとした議論を終えて、ミュンヘンまで戻って、夜9時頃から食事をしながら、およそ1時間半にわたって見目女史は、率直な感想を語ってくれた(じつは、通訳の感じ方で会話に重みが増す)。
本来であれば水系洗浄できないものを水系の洗浄をして、元のシルエット(寸法を含めて)・風合いに戻すわけだから画期的なことで、水系洗浄における常識を超えて、また覆すほどの革新的なこととして捉えている。
それをホーエンシュタイン研究所からの申し出によって、今回のパラメーター(ハッピーのテストデータ提供)の作成をする運びとなった・・・(昨年9月の訪問時に提案があった)。そして、そのパラメーターに基づいて、同研究所が考察して検証し、検査論文として認定証を発行するわけだから、ヨーロッパの各服飾関係者から驚きと同時に賛辞が寄せられるだろうとのことである(それほどにホーエンシュタイン研究所の知名度はヨーロッパでは高いものがある)。
つまり、ハッピーの洗浄技術である無重力バランス洗浄方法をヨーロッパに広める手伝いをしたいと考えているようだ。そしてドライクリーニングから水系洗浄(ウェットクリーニング)の未来構想も話し合った。さらには、マーケティングにおいても、ハッピーが申し出れば、その道筋をヨーロッパのラグジュアリーブランドに作るという話し合いもできた。
見目女史は強く言う、ホーエンシュタイン研究所は、ハッピーへの信頼を絶対的なものとして捉えている。ドイツ人は、プライドが高いので、自らが能動的に相手を褒め称えることはない。ハッピーのことは、よほどの珍事で気に入っているのだろう、とのこと。また、なぜ、これほどにハッピーの応援をしようとするのか、その答えは、議論の中で幾度となく出てくるのであるが、『ハッピーの工場をみて、技術力の高さを我々の目で見て確信している。百聞は一見に如かず。それに勝るものはない』と、嬉しい言葉である。彼らは、ドイツから京都のハッピーの工場見学に来ているのだ。
その時に、無重力洗浄機の威力を見て『その技術力と品質の高さに惚れた』のだと、その一言に尽きるようである。
この嬉しい言葉を我々は絶対に無にできない。必ず、世界に貢献できる水系洗浄に仕立て上げなければならないと自分に誓った次第である。
人と人との出会いや縁は不思議に世界共通で、何年にもわたって築きあげてきたホーエンシュタイン研究所とハッピーの交流は、言葉の壁を乗り越える何かがあると見目女史は断言する。
詳細な打合せの内容は、双方の企業秘密に属することなので、ここでは触れることができない。しかし、その内容としては、ITシステムの開発から技術関係・生産工程(ISO9001・QMS)と、その全業務のデータベース化に至るまで幅広く深い議論ができた。
打合せに基づいて、パラメーターの内容が完成して、考察・検証が発表されると、ヨーロッパのテキスタイルメーカー・アパレルメーカー・ラグジュアリーブランド・小売販売流通業に異変が生じること、そして、議論の中で、最も大切なこととして挙げられたのは、消費者の衣服に対するメンテナンス方法と、それを見る目線・判断に革新的な変化が起きるであろうことを双方で確認して納得した。
ヨーロッパにおいても、ファーストファッションの大量生産・大量消費には、ある意味において限界のあることは現実的である。
このことよりも、今世紀には良質で高級なものを求めて「長く着つづけたい」とする消費者が増えて、そこにニーズが生まれる。つまり、「長く着つづけたい」とするウォンツに挑戦しなければならないとし、また、そうならなければ地球環境に少なからず悪影響を与えてしまうということを確認し合った。この課題は、服飾関係者への近未来の方向を示唆していると考えてもらえれば嬉しい。
以上で、ミュンヘン空港の弥次喜多珍道中で始まり、ホーエンシュタイン研究所の方々がハッピーに示す誉め言葉の珍事まで、目的を十分すぎるほどに達成し、また、意思疎通には「思いやりと労り=おもてなし」の心が肝要であることを再認識して、余りかえるほどの実りある成果を得て帰国の途につく。
今回の訪欧キーワードは、最初から最後まで『珍』の一字であった。
写真左 : 会議の様子(ホーエンシュタイン研究所)
写真中央 : 記念写真
写真右 : 会議を終えて、本場ドイツのビールで乾杯。この明るさで夜の9時です。
4日目 6月20日
【社長の日記④】番外編
初日のアルテ・ピナコテーク美術館へは、乗り換えに間違えて大笑いをしたが、今日は、ミュンヘン滞在3日目とあって馴れてきた感が強い。そこで意を決して、フライトまでの余裕時間を利用して、ノイエ・ピナコテーク美術館を訪問した。
ゴッホの「ひまわり」を鑑賞しに行ったが、期待のイメージより花弁の黄色が不鮮明なので気分的に少々消沈気味だ。しかし、現物を鑑賞したということの充実感には十分なものがある。そのことに感謝して余りある。
さて、いよいよ日本へ帰る時間が近づいてきた。預けているスーツケースを取りに、いったんホテルに戻ってからミュンヘン空港に向かう。短期間の訪独であったが得るものは多くあった。
今日も36℃と最高気温を記録しているが、我々が去った明日は、23℃になって凌ぎやすくなるそうだ。我々の滞在期間だけが異常気象であるらしい。ミュンヘン市民挙げての熱気に包まれたと、バカな感謝をして、ミュンヘンとお別れすることにしよう。
では、また、京都・東京でお会いできる日を楽しみに。完